1 缶詰のあゆみ

缶詰がフランスで生まれてから約200年、日本では約140年

「ニコラ・アペール」肖像画
ニコラ・アペール

金属缶やガラスびんの中に、食物を入れて密封し加熱殺菌して保存する缶詰の原理は、今から約200年前の1804年にフランス人のニコラ・アペールによって初めて考え出されたもので、その時の皇帝ナポレオンによって12,000フランの賞金が与えられたとのことです。そのとき丁度、ヨーロッパ各国へ戦線を広げていたフランス軍の食料として、アペールの作ったびん詰が活用されて、大いに士気を鼓舞したといわれています。

いま見られるようなブリキ缶は1810年イギリスでピーター・デュランによって発明され、間もなく缶詰工場が誕生しました。その後、1821年にアメリカへ渡って缶詰の製造が本格化し、1861年南北戦争が始まってからは、軍用食料としての缶詰の需要が急に増え、当時約4,000万缶の生産をみるようになりました。

こうして、アメリカの缶詰産業は広い国土と豊かな果物や野菜の原料資源に恵まれて、近代的な食品工業として大きく発展しました。

わが国の缶詰は、今から約140年前の1871(明治4)年に長崎で松田雅典という人がフランス人の指導で、いわしの油漬缶詰を作ったのが始まりです。間もなく1877(明治10)年には、北海道で、日本初の缶詰工場、北海道開拓使石狩缶詰所が誕生し、同年10月10日にさけ缶詰が製造されました。その後缶詰が工業的に生産されるようになり、昭和の初期には、さけ、かに、まぐろ、いわし、みかんなどが缶詰になって重要な輸出品として海外へ輸出されていましたが、昭和30年以後は国内向けが多くなり、さまざまの缶詰が消費者に供給されています。

缶詰の日、10月10日のこと
10月10日は「缶詰の日」です

創立当時の石狩缶詰所写真
石狩缶詰所(創立当時)

明治政府は産業振興のため西洋文化を積極的に導入しましたが、この中に、缶詰の製造もありました。内務省は東京に勧業寮新宿試験場を設置し、1874(明治7)年から缶詰の研究に着手しました。

この頃、北海道開拓使は道内の産業として缶詰をとりあげ、事業化することになりました。このため、東京の新宿試験場に導入する予定だった米国で新たに購入した缶詰製造設備一式は、北海道の缶詰工場で使用することに変更するなど、国をあげての事業の一つになった観もありました。

北海道開拓使は、1877(明治10)年、札幌市の北、石狩市に、わが国初の缶詰工場、石狩缶詰所を設置し、米国から招いたケプロンの推薦で、技術者U.S.トリートと助手のW.S.スウェットを指導者として、缶詰機械を組立てて据え付け、容器の缶を作り、石狩川で獲れたサケを原料に、缶詰の製造を開始しました。この日が同年の10月10日です。

最初の缶詰製造は経験のない人達で行われたこともあって決して満足のできる製品ではなかったようです。しかし、間もなく缶詰生産は軌道に乗り、この年、15,970缶のサケ缶詰が製造されました。そして、立派なレーベルが貼られて、国内博覧会への出品や、翌年には輸出も試みられています。

この当時、缶詰のことを、管詰と記しています。

間もなく、缶詰製造法は全国に伝わり、缶詰工場が設けられ、さまざまな缶詰が製造されはじめられ、輸出も行われています。

「缶詰の日」10月10日は、このような歴史の記録をもとに、日本缶詰びん詰レトルト食品協会が同会の創立60周年を機に1987(昭和62)年に制定しました。