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記者発表会 − 2007年10月2日、TKP東京駅八重洲ビジネスセンター −

日本缶詰協会が出来た昭和2年(1927)、世界的な缶詰製造技術が確立しました。みかん缶詰の製造において、薬品処理によって内果皮を除く技術です。それまでの皮付きの缶詰を復元し、今日に至るみかん缶詰の歴史を製品で再現しました。

 

「ミカン缶詰等」復刻製品記者発表会
日本缶詰協会 小瀬ム会長挨拶

本日は、「ミカン缶詰等復刻製品」の記者発表会を開催したところ、たくさんのマスコミ関係者のご出席をいただきありがとうございます。

わが国で、はじめて缶詰が試作されたのが明治4年、そして販売を目的にした商業生産は、これより6年後の明治10年でした。最初の試作品がイワシ缶詰、商業生産はサケ缶詰で、水産物が中心になったのは海洋資源国・日本という環境が大きく関わっていました。

明治時代、水産物とともに豊富だった農産物がミカンです。ミカンは、温州という名前が示しているとおり、中国がそのルーツですが、わが国の温州みかんは中国のミカンから偶発的に変異したもので、独特の品種だといわれております。この独特品種のミカンに着目して、始められたのがミカン缶詰製造です。

日本がはじめてミカン缶詰を作った明治10年代はもちろん、大正、昭和に入っても世界中でミカン缶詰を製造する国はどこにもありませんでした。前例がないため、製造理論や品質管理法などは独自に究明、開発しなければなりませんでした。先人の方々の苦労は大変だったと聞いております。

さまざまな改良、工夫が加えられて今日みなさま方にご利用いただいているような製品が出来上がってきました。この経緯については、この後で担当者が説明いたします。

わが国に次いでミカン缶詰の製造を開始した国はスペインであり、昭和30年以降です。スペインや、今、世界最大のミカン缶詰供給国になっている中国においても、わが国で開発された製造法がほぼそのまま採用されています。

ここで、明治時代からのミカン缶詰を復刻した理由をご説明いたします。今日のミカン缶詰は、外側を覆っている皮はもちろん、果肉を包んでいる皮や白い繊維も残さずきれいにとってあります。果肉の周りの皮を取りのぞくことは、当初ナイフで削り取ったり、手で剥いたり、手作業で行っておりました。果肉の周りの皮を薬品で剥く現在のような方法が開発されたのは昭和2年になってからです。今から80年前です。

実はこの昭和2年に私どもの協会、日本缶詰協会が生まれました。協会の創立80周年を迎えるにあたって、「缶詰」と缶詰の基本技術である密封と殺菌の技術が、その後さまざまな加工食品に採用され、数々の加工食品を生む土壌になってきた事を、改めて知っていただく機会にしたいと考えました。

本日は、ご出席の皆様方に6種類の復刻品をお持ち帰りいただくよう用意してありますが、本会場内でも後方のテーブルで試食いただけるようにしてあります。試食いただき、感想をお聞かせいただければ幸いです。

今日の発表会を機会に、皆様方に、缶詰やびん詰、レトルト食品に新たな目を注いでいただけることを願っております。

以上、発表会開催にあたってのご挨拶とさせていただきます。

  


日本缶詰協会 小瀬ム会長

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