缶詰・びん詰・レトルト食品について

缶詰のあゆみ

1804年 缶詰製造原理の発明
  • 金属缶やガラスびんの中に、食物を入れて密封し加熱殺菌して保存する缶詰の原理は、今から約200年前の1804年にフランス人のニコラ・アペールによって初めて考え出されました。
    アペールは1794年ごろからこの方面での研究を開始しています。
  • ニコラ・アペール
    Nicolas Appert
    (仏・1749年~1841年)
  • フランス政府が懸賞をかけて陸軍糧食となる食品保存技術法を募集しました。
    皇帝ナポレオンによってニコラ・アペールに12,000フランの賞金が与えられたとのことです。
    そのとき丁度、ヨーロッパ各国へ戦線を広げていたフランス軍の食料として、アペールの作ったびん詰が活用されて、大いに士気を鼓舞したといわれています。
  • ジュリエンヌ
    アペールの技法に従って制作した復元品
    協力:(公財)東洋食品研究所
  • ウナギのマトロート
    アペールの技法に従って制作した復元品
    協力:(公財)東洋食品研究所
1810年 ブリキ缶の誕生
いま見られるようなブリキ缶は1810年イギリスでピーター・デュランによって発明されました。
間もなくブライアン・ドンキンによって同イギリスで世界で初めての缶詰工場が誕生しました。
  • ブライアン・ドンキン
    出典:ウィキペディア(「Bryan Donkin」)
    https://en.wikipedia.org/wiki/Bryan_Donkin
  • 1824年 W・エドワード・パリーが北極探検に携行した缶詰
1821年 アメリカで缶詰量産化
  • その後、1821年にアメリカへ渡って缶詰の製造が本格化し、1861年南北戦争が始まってからは、軍用食料としての缶詰の需要が急に増え、当時約4,000万缶の生産をみるようになりました。
    こうして、アメリカの缶詰産業は広い国土と豊かな果物や野菜の原料資源に恵まれて、近代的な食品工業として大きく発展しました。
  • 南北戦争(1861年~1865年)が缶詰の消費を高める契機となる
日本の缶詰の歴史
  • わが国の缶詰は、今から約150年前の1871(明治4)年に長崎で松田雅典という人がフランス人の指導で、いわしの油漬缶詰を作ったのが始まりです。
  • 松田雅典
  • 間もなく1877(明治10)年には、北海道で、日本初の缶詰工場、北海道開拓使石狩缶詰所が誕生し、同年10月10日にさけ缶詰が製造されました。その後缶詰が工業的に生産されるようになり、昭和の初期には、さけ、かに、まぐろ、いわし、みかんなどが缶詰になって重要な輸出品として海外へ輸出されていましたが、昭和30年以後は国内向けが多くなり、さまざまの缶詰が消費者に供給されています。
  • 当時のサケ缶詰ラベル
    (所蔵:北海道立文書館)
10月10日は缶詰の日
明治政府は産業振興のため西洋文化を積極的に導入しましたが、この中に、缶詰の製造もありました。内務省は東京に勧業寮新宿試験場を1874(明治7)年から缶詰の研究に着手しました。
  • この頃、北海道開拓使は道内の産業として缶詰をとりあげ、事業化することになりました。このため、東京の新宿試験場に導入する予定だった米国で新たに購入した缶詰製造設備一式は、北海道の缶詰工場で使用することに変更するなど、国をあげての事業の一つになった観もありました。
  • 北海道開拓使石狩缶詰所
  • 北海道開拓使は、1877(明治10)年、札幌市の北、石狩市に、わが国初の缶詰工場、石狩缶詰所を設置し、米国から招いたケプロンの推薦で、技術者U.S.トリートと助手のW.S.スウェットを指導者として缶詰機械を組立てて据え付け、容器の缶を作り、石狩川で獲れたサケを原料に、缶詰の製造を開始しました。この日が同年の10月10日です。
  • 大正時代から昭和時代にかけて缶詰生産量増加
最初の缶詰製造は経験のない人達で行われたこともあって決して満足のできる製品ではなかったようです。しかし、間もなく缶詰生産は軌道に乗り、この年、15,970缶のサケ缶詰が製造されました。そして、立派なレーベルが貼られて、国内博覧会への出品や、翌年には輸出も試みられています。
この当時、缶詰のことを、管詰と記しています。
間もなく、缶詰製造法は全国に伝わり、缶詰工場が設けられ、さまざまな缶詰が製造されはじめられ、輸出も行われています。
  • 大正時代に「缶詰普及協会」が設定したマーク。
    「消費者ニ味方スルモノハ最後ノ勝利者ナリ」の文字が読める
  • 「缶詰の日」10月10日は、このような歴史の記録をもとに、日本缶詰びん詰レトルト食品協会が同会の創立60周年を機に1987(昭和62)年に制定しました。
  • 10月10日は缶詰の日
1968年 缶詰製法を応用した“レトルト食品”登場
  • レトルト食品の研究開発は1950年頃、アメリカの陸軍ナティック研究所が着手したことにより始まりました。包材の開発と製品化に努め、宇宙計画の食料として利用するなど、特別食や軍用食としての研究が進展しました。
    一般的にレトルト食品が知られるようになったのは、1969年に打ち上げられた月面探査船アポロ11号に「Lunar-pack(牛肉、ポトフなど五品目)」として積み込まれ、宇宙で食べられてからでした。欧米諸国では1960~70年代に家庭用としてのレトルト食品の実用化が試みられましたが、商品としては育ちませんでした。大型の冷凍冷蔵庫が早くから普及しており常温保存の必要性が高くないこと、ローストするなどオーブンでの加熱調理が食事作りの基本であるためなどが理由として考えられます。
  • レトルト食品は、1969年に打ち上げられたアポロ11号に宇宙食として積み込まれた
  • 一般に市販され私たちが手にできるような製品になったのは、実は世界でも日本が初。1968年に大塚食品工業(現:大塚食品㈱)からレトルトパウチに詰められたカレー製品が販売されたことによりはじまりました。その後次々と参入する企業が増え、近年では100社を超える企業で500種以上のレトルト食品が生産されています。
    日本も含めてアジアでは、湯を使う(ゆでる、蒸すなど)調理法が一般的で、このことが湯で温めて食べるレトルトパウチ食品のアジアでの普及につながっているといえるでしょう。
    流通量の多い国は、韓国、台湾、シンガポール、タイ、マレーシア、中国で、これらの国では国内向けばかりではなく、輸出向けの生産も行っていて、タイからはツナやカレーなどが日本にも輸出されています。
  • 世界初の市販用レトルト食品「ボンカレー」パッケージ(当時)提供:大塚食品㈱